「考える」を考える 前編
2012年04月24日
あえて今、「考える」ことにこだわる理由は
「安易に教えない」。
「答えは自分で考えてもらう」。
これは、私が若手スタッフやインターン生に接する際のポリシーです。
別に意地悪をしているわけではありません(もちろん、必要に応じて必要なことはきちんと指導しています)。
自分の頭で「考える」ことこそが、我々のような規模の小さい自営業、あるいはクライアントである中小企業の経営者の最大の武器になりうる。そう考えるゆえのいわば“愛のムチ”です。安易に答えを人から聞きだしたり、ネットで探したりするのではなく、自分の頭で考える習慣を身につけることが何よりも大事。自らに課している習慣でもあります。
なぜそこまでこだわるのか。
大ゲサではなく、人類の長い歴史の中で今ほど「考えること」の重要性が高まった時代はないと思うからです。
例えば、私達の親世代。日本の経済は右肩上がりでした。一生懸命働けばどんどんモノは売れ、売上は上がっていきました。こうした時代には、ヘタなことを考えるよりもまずは手足を動かすことが大事。言ってみれば、上司や会社の言うとおりに前に進む。あるいは汗水たらしてともかく一生懸命働く。それこそが、成功の方程式でした。
ところが、ご承知の通り、現在は180度といっていいほど状況は激変しています。
あの名著『フラット化する世界』でも書かれているように、PCやITの普及で情報やちょっとしたイノベーションも瞬時に共有化され、平準化されてしまう。
ごく身近な例で言えば、野菜が欲しいと思った際に、近所の八百屋さんで買うしか選択肢がなかった時代と違い、インターネットを使えば北海道から産地直送なんてことも可能になりました。
これは利便性という面で前向きな変化ですが、ビジネスをしていく上では従来とはまったく違うアクションが求められます。単純にいいものを作る、あるいはお店に商品を豊富に並べるということでは成果は期待できない。他にはない、自社のみの付加価値がなければ日本中、世界中のライバルに顧客を奪われてしまうことを意味します。
世界のライバルという意味では、新興国の台頭は脅威です。アジアの近隣諸国では人件費は日本の1/5から1/10ほど。日本人がどんなに一生懸命働いてもコストという面で彼らに勝ち目はありません。日本人ならではの、いや自分だけのアイデアや工夫なくして彼らに勝つことは難しいのです。
今は正解がない時代。だから…
そして、最も重要なポイントは、そもそも今は「正解のない社会」であること。情報の平準化に伴い、一般的な「正解」(これが妥当であろうと思われる選択肢)には、誰でも簡単に辿り着くことができます。決定的に他と差別化をはかっていくには「自分なりの正解」を見つけねばなりません。つまり正解のない社会にあっても、よくよく熟考し「自分はこの道を進もう」と見えない未来に向かって決断する姿勢が求められます。
決断する際には、間違いを恐れない勇気も必要です。不安も伴います。けれど裏を返せば、技術の発展によって個人でも小さな企業でも、世界を相手に大企業と渡り合えることも意味します。つまり、アイデアや工夫、つまり考え方次第で大きくビジネスを広げるチャンスにもなりえるのです。
多少余談めきますが…、私が随分前から「考える」ことを意識し続けてきたのには理由があります。それは私が順風満帆な人生を送ってきたサラブレッドではないから。数々の壁にぶちあがるたびに考えざるをえなかったというべきかもしれません。いわばケガの功名で、考える習慣を身につけることができたのです。
よく「優秀な選手が必ずしも優秀な指導者になるわけではない」と言われます。その背景としては、優秀な選手は元々の能力が高く「考える」機会が少ないことゆえ、「考える」ことに慣れていないことも一因に挙げられるでしょう。
プレイヤーの間はそれでも結果を出せる。しかし、指導者となって自身の指導する選手が問題にぶち当たった際、「考える」ことに慣れていない指導者は的確なアドバイスを与えられないのではないでしょうか。
そう。ここで誤解のないように言っておくと、「考える」ことは「正解を見つける」こととイコールではありません。頭の良さも関係ありません。誰もが活用しうる問題解決の手段なのです。