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「失敗を許さない社会」と「人に優しい社会」の奇妙な共存について考える

2022年09月06日

失敗した人を容赦なく叩く風潮がなぜ加速化しているのか

「10回タックルをして3回成功するよりも、5回タックルして2回成功したほうが、成功の確率が高いと評価される風潮がある」「それは失敗を許さない日本の社会の縮図ではないか」。
20数年前だったでしょうか。新聞のスポーツ欄の連載で、ミスター・ラグビーと呼ばれた故・平尾誠二選手が、そんな興味深い指摘をしていたことを覚えています。

確かに『半沢直樹』などで描かれるように、かつて日本の社会では出る杭は打たれ、1つでも失敗をしたら左遷の憂き目にあう。そんな減点主義がはびこっていた時代がありました。

今はコンプライアンスの徹底が言われ、失敗をした部下を閑職に追いやるようなパワハラは許されなくなりました。失敗から学ぶことや、新たな成長を目指すには失敗を恐れず挑む姿勢の重要性も指摘されるようになっています。

では、日本は失敗に対して寛容な社会になったのでしょうか。答えは否。法を犯したケースなどは別として、ちょっとした過ちについても当該人をネット上でコテンパンに叩くなど、失敗を許さない風潮はむしろ高じている。人に面と向かって怒鳴るようなことは少なくなり、表面的には人に優しい社会になったようで、実際は失敗した人を容赦なく断罪する社会は継続中だと感じています。

これは一体どういうことなのか。様々な理由が考えられると思いますが、個人的な考えとして、「失敗を恐れるな」などと言いつつ、今の日本は「失敗をさせない」仕組みになっている。逆説的なようですが、それが「失敗を許さない」風潮の加速化につながる要因の一つではないかと思うのです。

失敗の経験が少ないゆえに、自分の失敗も許せない人が増加

かつて日本社会には新人が否応なく失敗を強いられる仕組みというのか、“失敗自動装置”のようなものがありました。
例えば、「名刺を〇枚もらってこい」と飛び込み営業をやらされ“塩対応”に遭った挙句、目標を達成できなくて上司に怒られる。“地獄の特訓”などと称した厳しい外部研修に派遣され、ルールを守れないと全体責任で罰が与えられる。
あるいは、仕事以外でも、取引先や上司に限度をわからないままお酒を飲まされ、次の日に会社に遅刻してしまう。宴会で芸を披露しろなどと言われ、スベって笑われる。

社会人になるにあたってはこうした負の“洗礼の儀式”のようなものが、長く繰り返されてきた歴史があります。

無論、こうした古い因習、理不尽なルールは消滅するべきものであり、そこに戻ることは許されるものではありません。
ただ、一方で“失敗自動装置”がなくなったことで、失敗を経験したことがない人、失敗への耐性がない人が増えているように感じるのです。自分の失敗が許せない、失敗したら恥ずかしい、それが高じて他人の失敗も許せない。潔癖主義というのか、完璧主義のようなものがはびこっているように思います。

例えば、私の事務所のスタッフの中でも、ちょっとした入力ミスを指摘されると、必要以上に落ち込み、自分を責めてしまうようなケースがまま見られます。同じ失敗がないよう今後の改善策をどうするかに考えをシフトしてほしいと思っても、自信を失くし、かえってミスを連発するような悪循環に陥ることもあります。

日本でなぜ革新的なイノベーションが生まれにくいのか

ここで根深い問題が、失敗をしたくないがゆえに、新しいチャレンジに尻込みする傾向が見られることです。

私は属人的なミスをなくし、業務を効率化していくために新しいツールやテクノロジーを積極的に試し、活用するようにしています。そのおかげで当事務所では残業実質ゼロの生産性向上を実現できていると思いますが、新しいツールを入れて業務プロセスを変えれば、最初はうまくいかないことも多々生じます。

最近では、様々なデジタルソリューションが登場していますが、導入しさえすればうまくいくわけはなく、“道具”を効果的に活用するにはトライアンドエラーが欠かせません。

こうしたプロセスを厭い、“変わる”ことへの抵抗勢力が必ず現れるというのも、どこの企業でも“あるある”の現象でしょう。日本企業においてDX(デジタルトランスフォーメーション)の推進やイノベーションの創出がなかなか進まないというのも、「失敗を許さない・許せない」ことが元凶の一つではないかと感じています。

昨今で、こうした日本社会の風潮が顕著に露呈したのがコロナ禍でした。誰にとっても初めて直面する事態となれば、打つ施策も初めてのトライアルであり、うまくいかないことがあるのは想定内のはずです。
だからこそ短いサイクルでPDCAを回し、改善していくことが重要なのですが、ちょっとした失敗も許さない社会情勢にあって、日本は諸外国に比べて思い切ったトライもできないまま、常に後手に回ることとなりました。

それでも最終的には自分が良しとする施策を断行した菅さん(総理)は退陣に追い込まれました。結果、「(失敗につながる)新しい試みはしない」政府のほうが高い支持率を維持するという皮肉な結果になっています。

「うまく失敗させ、成長につなげる」仕組み化が求められている

iPhoneやMacBookを生み出したアップルのスティーブ・ジョブズ、AWSを創出したアマゾンのジェフ・ベゾスも、実はその裏に大量の失敗作があったと言われます。
日本の経営者でも、サイバーエージェント社長・藤田晋氏の肝いりでスタートしたAbembaTV(アベマティーヴィー)も、当初は赤字が続き、散々叩かれていました。しかし、批判に屈することなく事業を継続していくことで、今や地上波放送を脅かす存在になりつつあります。

私自身も、独立当初はクライアントへ良かれと思って提言したアドバイスが社長の怒りを買い、契約を打ち切られるようなこともありました。その他にも様々な失敗を繰り返し、失敗と同じだけの試行錯誤を繰り返し今があります。
革新的なイノベーションを生み出したり、企業として成長したりといった過程では手痛い失敗はつきもの。“成長痛”は欠かせない通過儀礼だと思うのです。

といって武勇伝のように昔の失敗談を「オレが若いころは~」などと吹聴し、「失敗を恐れずチャレンジしてほしい」「ベンチャー精神を持ってほしい」などと言ったところで、若い世代には響かないでしょう。

まず、今の50代前後ぐらいから上の経営者自身が、「失敗を許さない社会」を形成してきた一員であるという自覚を持つ必要があると思います。
その上で大事なのは、「うまく失敗させ、成長につなげていく」ような仕組みを作ること。大前提として、最終的な責任は必ずトップが持つとしっかり伝えることも重要だと考えています。

無論、失敗の耐性には個人差があり、失敗の経験が少ない人に「うまく失敗させる」のはなかなか難しいもの。ヘタに期待や負荷をかけすぎると逆効果につながることもあります。

しかし、そうしたリスクを踏まえても、「人は失敗してこそ学びを得る」「失敗を経て初めて人は成長できる」と私は思うのです。いかに失敗をポジティブに捉え、成長につなげていくか。私自身も、まだまだ試行錯誤の渦中にあります。
失敗のあり方については、次回にもう少し持論を書いてみたいと思います。

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