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独立20周年。人を信用できなかった私が「人の運に恵まれている」と思うようになった理由

2022年07月01日

多くの人に育てていただき20年を迎えました

この記事公開の202271日。20年前の2002年同日、私は4年間半の税理士事務所勤務を経て、32歳で税理士として独立しました。

20年といえば、赤ん坊が「オギャー」と生まれ、反抗期やらなんやらを得て成人(今年から成年18歳となりましたが)するまでの期間に匹敵します。子どもの成長同様に、クライアントの方々を始め多くの人に育てていただき、さらに小さなつまずき、失敗、試行錯誤をくり返し、今を迎えることができました。

まずは御礼申し上げます。ありがとうございました。
独立当初は若手税理士と言われた私も52歳。節目の年を迎え、ひるむことなく新たなトライアルに挑むためにも、これまでの20年を振り返ってみたいと思います。

【独立前夜】 3年勤めたら独立するはずが不安に……同世代社長の姿を見て奮起!

大学卒業後、就職への踏ん切りがつかないまま一念発起。23歳から税理士の勉強を始め、4科目合格を経て27歳で税理士事務所に入所。遅い社会人デビューではありましたが、実務経験3年間で残り必須の1科目を取り30歳で独立しよう。これが当初の計画でした。

ところが、仕事はやればやるほど難しさも見えてくるものです。「やっぱり5年ぐらい実務経験を経てから独立かな」――そんなふうに思ったところで出会ったのが、同世代で年下の社長が経営する今もクライアントのB社でした。

税理士事務所に顧問の依頼があり担当になったのですが、アグレッシブに顧客を開拓している様子に猛烈に焦りを感じました。「5年なんて悠長なことを言っている場合ではない」。担当になった3か月後には独立を決めました。あの時の出会いがなければズルズルしていたかもしれません。

【2002年・独立】5年で当初の目標顧客数40社を達成したところでモチベーションが低減

2002年、独立を決めてからは、これまでのクライアントに声がけしたり紹介してもらったりと準備を進めました。目算では顧客10社で創業予定のはずが、新規のクライアントは1社のみ。引き継いだクライアントと合計し、8社でのスタートとなりました。
しかも、その年中に2社が廃業し6社。
税理士の新規開拓が難しいのは、「税理士のご入用はありませんか」などと飛び込み営業をするわけにもいかず、営業代行会社が一般的でなかった当初は紹介を待つのみでした。時間は余っているのに、自分でできることには限界がある。危機感と焦りが募りました。

また、そもそも顧客の数が少ないのですから、いただく紹介件数にも限られます。さらに、たまたまそうだったのか、創業当初、いただいた紹介企業の中には経営が不安定なケースが散見され、お客様になったと思ったら廃業リスクにさらされたりと安定しない状況が続きました。

打開策の一つとして事務所のホームページを作ったのですが、コンセプトも迷走。「口コミで広げるならば、まずは女性の声を集めよう」と「家計簿診断」をメインにし、色合いもオレンジにするなど工夫を凝らしたのですが、結果は芳しくありません。

それでも、少しずつ紹介が紹介を呼ぶような好循環が生まれ、独立5年間で当初、目標としていた顧客数40件を達成することができました。
「さあ、これから!」というところですが、好事魔多しというべきか。物事がうまく進んでいる時ほど、思わぬ落とし穴があるわけで、当時の私は日々の業務へのモチベーションが低減傾向にありました。

恋愛や結婚が3年、5年の節目に危機が訪れるなどと言いますが、事業も同様。クライアントの中にも5年辺りで仕事に飽きて手を抜き、その後は坂道を転がるように、最悪、廃業に追い込まれるケースも何件か見てきていました。

私自身も、クライアントとの間で小さなトラブルがあったりと良くない兆候が見えつつありました。この中だるみの状況を脱するには、自分に負荷をかけることが肝要。1人でやるなら40件が限度という上限を取っ払い、人を採用し、事務所を借りることにしました。

【2008年・1人体制から組織へ】 人の採用に試行錯誤の連続

事業をやっていく上で、難題の一つに人の採用・教育があると思います。どういう基準で、どういう人を雇うか。多くの経営者が悩まれるポイントではないでしょうか。

では、私が事務所を借りるという決断の下、どういう基準で人を採用してきたか。採用基準の推移とどういう人が事務所に入り、去っていくことになったか。試行錯誤の連続について赤裸々に綴ってみます。

フェーズ1 資格よりも人間力。「人生をやり直したい人、『五島道場』に来たれ」

1人目 誰にも好かれる絵に描いたような「いい子」、元保育士&元ラガーマン入所
2人目 有名私立大学卒業後、メジャーデビューを目指していたミュージシャンの卵。ゼロから人生スタートしたいと入所
3人目 高校時代、空手で全国大会を果たしたイケイケタイプの男性
4人目 世界一周旅行を経験したという、マイペース&おっとりタイプの男性

自分なりの仮説として、資格の有無より「人に好かれること=営業力」が大事という基準で、採用をスタートしました。
1人目の人は、本当にいい青年でしたが、最低限、必須となる経理や会社関連の数字の勉強にギブアップし2か月で自ら退所。それ以降は基本、求人会社に依頼していますが、当時は担当者発案による「人生をやり直したい人、『五島道場』に来たれ」といったコピーの下、採用しました。2人とも、発想はユニークながら、税理士に欠かせない地道な作業は苦手といった理由から約1年で退所。4人目のマイペース男性も2か月ほどで退所となりました。

フェーズ2 「まじめに仕事をこなせる人」に採用規準をシフト

5人目 クライアント先で働いていたベテランパートの女性に依頼し、入所
6人目 高校時代に簿記論に合格し、会計ソフトの会社で働いていた20代女性

「奇をてらって独自性を出そうとしていた」反省点から、方針を転換しました。これまでのイケイケタイプと異なり、2人とも非常にまじめに仕事に従事してくれたと思います。ただ、まじめだから仕事をしっかりやってくれるだろうと、特に6人目の女性については“放任主義”のようになったこともあり、ミスが減らず約2年間の勤務を経て、2014年夏、退所となりました。

その後も税理士資格を保有し入所してきたもののすぐに辞めてしまった人、修行にやってきた大学時代の後輩、インターンから始めて入所した人、中には入所を決めたのに言葉の行き違いからか「条件が違う」といった半ば怒鳴り込むような形で事務所にやってきて、ご破算となったケースもありました。10数人の人々が来ては去っていき、しばらくは新しく入ってもらったパートの女性、2人で業務を回していました。

2014年当時、顧問先は約140社。2人で回すには業務はパンパンで、取りこぼしもつい出てしまう。めったに怒ることのないクライアントの社長から苦言を呈されることもありました。

フェーズ3 「税理士資格保有者」を採用する

試行錯誤を経て、方針を180度転換。「税理士資格保有者」を基準に求人を出し続け、出会ったのが今、共同代表を務める布瀬川(えり)税理士です。
大手税理士法人で活躍していた彼女ですが、出産・育児を経て自宅近隣で働ける場所を探していたということで、お互いに幸運な出会いとなりました。

うまくいく奇策はない。やるべきことを淡々とやるベースをつくる

201412月、布瀬川が入所。事務所経営のスタイルをガラリと軌道修正し、自分自身も誰よりも早く出所し、オフィス環境も整備。残業は基本的になし。働きやすい環境構築に注力しました。

4年後の2018年にはもう一人、税理士資格取得中の女性が入所し、有資格者は3人に。2019年には年間で過去最高の51社の新規顧問契約をいただくことができました。
ただし、順調満帆に見えて落とし穴が。顧客が増え、売上は上がっているのに利益は減少。正社員含めスタッフ数が過去最高に増えているのに、その割に仕事が終わらない。業務効率が低下していたのが理由でした。
これも儲からない会社が陥りがちな典型的なケースといえます。

業務や人員配置のムダを見直しているうちに2020年、コロナ禍に突入。それを機に業務のやり方をドラスティックに見直し、効率化、収益性改善に取り組んだことで、利益が回復します。20226月現在で法人顧客231社。個人顧客23件、合計254件。お蔭様で20年連続売上増を更新しています。

では20年間、いろんなつまずきもありながら、なんとかやれてきた理由は何か。
そう問われると「これをやったらうまくいくという奇策はない。コツコツやって、改善し、見直すという蓄積が重要です」というあまり面白くない結論に帰結することになるのですが……。もう少し細分化した形で事業継続、右肩上がりを維持できたポイントについて書いてみます。 

ポイント1 「コツコツやる=毎日、同じことをやる」のとは違う

先に「コツコツやる」ことが大事と記しました。ただし勘違いされやすいのですが「毎日、同じことをやっていればいい」のとは違う。税理士業務というと、税法に則ったルーティンワークのようにも思われがちですが、法令順守は前提として、決まった業務だけをやっていたのでは、変化のスピードの早い世の中で戦っている経営者の意識や悩みに応対することは難しい。

まず、独りよがりに陥らないためにも、しっかりとした数値目標を立てることは肝要。目標達成に届かないようならば、やり方を変え、あるいは時代に合わせて目標を設定し直すことも必要でしょう。

また、同じ業務のやり方を続けていたのでは、キャパシティに限界が来るのは必至。当事務所もそうですが、人や資金・設備などのリソースに限界がある中小の組織だからこそ、「根性論」ではなく、便利なテクノロジー・ツールなども活用し、従来の常識に捉われない業務の効率化や生産性向上に取り組むことも大事だと思います。

独立当初、私が決めたことに「顧客から生涯に渡って得られる売上100万円」の顧客を300件獲得という数値目標がありました。
以前、勤めていた会計事務所の所長から言われた言葉で、税理士は「1件顧客を獲得したら、顧客から生涯に渡って得られる売上は1000万円」というものがありました。
しかし、そんな売上が得られる時代は長くない。そう考え、当時、会社員の生涯賃金3億円と言われていたことから、「100万円×300件=3億円」という目標を立てたのです。

毎年、目標と結果の数値を見直していますが、100万円×300社(件)の数値は今年、達成することができました。面倒がらずに、定期的に数値をチェックすることも肝要です

ポイント2 うまくいかなくても我慢して続けるべき事、時期もある

ポイント1と矛盾するようですが、「うまくいかないからすぐに方向転換」というのも違うのではないかなと最近、思うようになりました。

昨今は、事業環境の変化に合わせ柔軟に「変わる」ことが最優先にされがちです。ただし、やると決めたことは、すぐにうまくいかなくても、ある程度は我慢してやり続け、失敗・成功に関わらず結果を出した上で、振り返ることが大事だと思います。

そうした毎日の継続こそが自分の評価につながるということはあるのではないか。20年を経て色々考える中で、特に最近、思うところです。

ただし、だからといって赤字を垂れ流しながらずるずる続けるのは事業のあるべき姿ではない。思い切って「損切り」すべき時もあります。その判断をするためにも、「予算はいくらでいつまでにやる」など数値目標を立てることが大事なのです。

ポイント3 自分のためではなく、人のためにがんばる

きれいごとのようで、自分のためではなく人のためにがんばる、いわゆる「利他主義」は理にかなったものだと思います。

話が飛ぶようですが、独立以前の32年間と、それ以降の20年を考えると、独立以前の自分について「ついている」「運がいい」と感じたことはありませんが、独立してからの20年は本当に「運に恵まれていた」とつくづく思うのです。

その理由について考えてみたのですが、独立前は自分を最優先に考えていたからではないでしょうか。「お客さんが欲しい」「1位になりたい」などなど。もっと言えば、「他人なんか信用できない」。だから他人に頼ってはダメで、「自分ががんばって結果を出す」。そういう気力や根性も大事ですが、「自分がうまくいくこと」だけに固執していたように思います。

独立してからは思うように顧客を獲得できなかった時期を踏まえ、「世の中に必要とされる税理士になるには、どうしたらいいのか」を真剣に考えるようになりました。つまり、「お客さんがうまくいくにはどうしたらいいか」「お客さんが困ったときに役立つにはどうしたらいいのか」を最優先に考え、行動するようになったのです。

思考の転換を経て、既存のクライアントから紹介の話も多く舞い込むようになり、「ありがたい」という感謝の思いと共に、クライアントとの信頼関係も深まり、好循環の輪が広がっていくようになった。その蓄積が今につながっているのではと思うのです。

こうした自分の経験値を還元できればと、税理士インターン制度などを実践してきましたが、20周年を機に若い経営者や税理士志望者などを応援するプログラムを再開したいと考えています。その辺りのプランについては、改めて詳細をご紹介します。

改めて20年間、支えてくださった方に深く御礼申し上げます。やっぱり私は人に恵まれていると思います。そしてこれからもよろしくお願いいたします。

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